世界中が新型コロナオミクロン株で揺れている中、日本では比較的抑えられ、穏やかな正月を迎えていることは幸いですが、「いよいよ新しく」とは言うよりは、「一日も早い終息」を求める年始めを迎えています。年始めの期待が前進と言うよりは、事後処理という何とも残念な新年です。しかし、人生には「前進」に心を燃やすよりは「事後処理」に心身を消耗する時があります。
しかし、そんな私たちに神は
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント 5:17)と語られます。
ここでの「新しく」は「再度、事後処理が必要となるかもしれない新しさ」ではなく「今までとは違った別の種類の」と言う意味の「新しさ」です。
色々な暗いニュースが飛び交う中で「時代が変わり、世が変わるとも、頼りうるは我が身一つ」と肩をいからせて生きて来た人生に
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ 3:16)とのニュースを「私への知らせ」と受け留めるとき、その「新しさ」があなたを変えます。
暗いニュースの多い年明けを「今までとは別の種類の」年明けを迎える新年2022年としたいものです。
「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」(イザヤ 43:18、19)
写真↑ ガリラヤ湖に昇る朝日