死の床で思うことは?       黒田 朔

86歳の義兄が亡くなった。その生き方を振り返ると、科学者として、ビジネスマンとしても、社会的にも成功した人生を生きた人であった。しかし、人は死の床では何を考えるのだろう。生きることに成功した人が死に臨んでも成功するとは限らない。初めて天下統一を成し遂げて秀吉は「露と落ち露と消えにしわが身かな 浪速のことは夢のまた夢」と詠んだ。在宅ホスピスケアに入ってからの義兄とは多くを話す機会はなかったが、科学者と
信仰をテーマにした本を送り、手紙を書き、終わりが近くなったころには星野富弘さんの詩集を送った。いよいよ厳しくなった頃、顔を合わせて「お祈りしましょうか」と了解を得て祈る。「人の限界を超えた世界を支配される神よ・・86年の良き人生を感謝します。
良き家族を感謝します。後に残すすべてを委ねます。お守りください。生前、あなたを悲しませたことを許し、永遠のいのちの祝福にお迎えください。アーメン」義兄も「アーメン」と和して「ありがとう」と自分の方から手を差し出し、私たち夫婦に握手を求めてくれた。死を前にした義兄とは具体的なことは話せずではあったが、共にした祈りが義兄の思いの沿っていたのだと分かった。死の床では成し遂げてきた過去の実績などが力を失い、頼れなくなる厳しさと同時に、死の向こうで頼れるもの、望みを与えるものを求めるのだと気づかされ、義兄と共に祈ることができたことを感謝し、キリストの約束を味わいなおした。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネによる福音書3:16)

2022年04月26日