若き日の出会い 辻喜男

先日、高校の同窓会総会の案内が届きました。残念ながら、今年も日曜日の午前中に開催されるということで、礼拝のため出席がかないません。しかし同窓会の案内が届くたびに、改めて高校時代を振り返るきっかけにもなっています。良かったことも悪かったことも、今となっては懐かしい思い出です。そしてあの時代からすでに六十年が経過しました。しかしこの半世紀以上、あの高校時代に受けた授業がきっかけとなり、現在に至るまで人生を導くテーマを発見することができたように思います。
 「国語・現代文」の授業の初日に担当の先生が、分厚い本を教室に持ってこられ、「これからの勉強には、これくらいの辞書を持っておくように」と言う勧めがありました。それは岩波書店の『広辞苑』でした。『広辞苑』の存在も知らなかった者にとって、衝撃的な出会いでした。今までと勉強の質が違うように思いました。またこんな辞書が手元にあれば勉強も進むのではないかと、先生の言葉に大いに影響され、早速購入しました。あれ以来、何回が新版が発売され、その都度、採用される言葉と採用されない言葉についても話題になりましたが、今もこの辞書にはお世話になっています。ただ最近は重い本ではなく、もっぱら電子辞書++版『広辞苑』を重宝しています。
 しかそれ以上に、この時の「国語・現代文」の教科書に掲載されていた文章で、私自身の人生が決定的な影響を受けたことを忘れることができません。キリスト教思想家、伝道者である「内村鑑三」についての文章でした。教科書に掲載されていたのは、文芸評論家亀井勝一郎が書いた『非寛容の美徳』という文章の一部でした。そこで内村鑑三と初めて出会い、その生涯と活動に興味を持ちました。その文章は、内村鑑三が明治から昭和初期の時代に、キリスト者として生きることで、社会の不正を鋭く批判した姿勢を取り上げ、社会に対する寛容さよりも非寛容であったことを高く評価していました。私も教会に通いだした頃でもあり、日本人クリスチャンで、明治から昭和初期の時代に、社会に対してこれほどの発言力のある人物がいたことに驚きました。その後、ネット販売がまだない時代、内村鑑三関連の書籍を求めて、各地の書店、古書店、また図書館に通いました。そして特に、彼の代表的著作『余はいかにしてキリスト信者となりしか』からは大きな刺激を受けました。
 その後、何十年もかけて内村鑑三関連の書物を懸命に集めましたが、余りに多くて読み切れずに生涯を終えそうです。しかし内村と出会い、彼と同じ聖書の神を信じ、さらに聖書そのものを読み続けることは今も続いています。六十年以上も前に、高校の授業がきっかけで、聖書にも内村鑑三にも出会うことができたことは、私にとって幸いでした。

 

 

 


2022年05月02日