「父の愛」 藤井 貴


この絵はレンブラントの「放蕩息子」です。この「放蕩息子」は聖書「ルカの福音書15章」に記されたイエスの譬えを材題にしたものであり、他にも多数の絵が描かれている。それほど有名な譬えですので、読まれた方も多いのではないでしょうか。
この譬えには3人の登場人物がおり、放蕩息子(弟息子)の他に、その兄、ふたりの父です。そして、その父が譬えの主役です。
弟息子は父が生きているとき、自分の相続財産を要求しました。それは、「あなたは私にとって死んだも同然、これからはあなたの保護を受けずに生きていく。」と父に宣言しているかのようです。そして、もらった財産を持って遠い国に出て行き、その財産を湯水のように使い果たした後、飢饉にみまわれるのです。

何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。(ルカの福音書15章14~16節)

その時、

しかし、彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』(同17~19節)

彼が父のもとに帰ったとき、

ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。息子は父に言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』こうして彼らは祝宴を始めた。(同20~24節)

ここで「一番良い衣」は地位の回復、「指輪」は権限の移譲、「履き物」は自由人の印であり、この弟息子が子どもとして受け入れられた証です。父(神)から離れていった自分勝手な弟息子(罪深い私たち)をそのまま受け入れ、相続人として宣言してくださったのです。この譬えが語られた背景が1-3節に記載されています。

さて、取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った。そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。(同1~3節)

すなわち、当時の宗教指導者がイエスは「罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」との文句に対するイエスの答えなのです。父である神は罪人たちを含め、すべての人を受け入れ、無条件に愛してくださいます。そして、私たち罪人が神である父のもとに帰るのを待ち続けておられるのです。次回は兄息子に焦点をあてたいと思います。

 

 


2022年01月17日