GWあけに淡路島、美術館と鳴門観潮の一泊の旅に出かけました。ハワイから定年退職後日本で「自分たちの人生を変えたキリストとの出会い」を伝えたいと夫婦で来て下さったJさんとMさん夫妻との2年越しの約束の旅でした。ネギが苦手のご夫妻にとって玉ねぎ収穫の真っただ中の淡路島ではどこに行ってもねぎの匂いに追っかけられ、人形浄瑠璃の人形館に入りやっと楽しむことが出来ました。鳴門大橋のたもとで一泊、大潮の時間に合わせて観潮船に乗り、1メートルくらいの落差を落ちる潮がやがて渦となり舟の方に迫ってくると思わず「わ~ッ」「すご~い!」の連発。小1時間の観潮でお二人は大満足。今回が3回目の私たちも初めて見る潮の高さの違いや渦のすさまじさに、「これやで‥鳴門観潮は!今までのは何やったんやろか」と私たちも感動しきり。そこで、思い出したことは「何でもすれば良いというのではない。良い結果を得ようと願うなら、良い結果が期待できるようにするべきこと」でした。つまり、鳴門観潮はついでではなく、大潮の季節に、その日の干満の時を選ぶことだと気づかされました。「時を選ぶ」大切さは聖書・伝道者の書3章にあるとおりです。
すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。・・・
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦いの時があり、平和の時がある。・・・ 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。