みなさん、こんにちは!
貝塚聖書教会の山里将之です。
出かける時、私はほとんど車を使うので、電車やバスに乗ることがめったにないのですが、皆さんはいかがでしょうか。そんな私が先日、本当に久しぶりにバスに乗りました。それも、普通のバスよりうんと小さい、コミュニティーバス。たまには良いか、と思い、また免許を取る前の学生、子どもに戻った気分で、半分わくわくしながら。
ところがしばらくすると、バスが私が想像していたルートとは反対方向に向かっているようで、思わず「間違えた!」と思ったのですが、実は間違えていたのではなく、そういうルートだったんだと初めて分かりました。ヒヤーっとした思いから一転、「こんなルートもあるんだなぁ」「こんな風景がこの町にあったのか」「なんか、得した〜」という気分になりました。
無事に目的地に着く。これが本当に大切だなぁと思います。最短ルートとは言わないまでも、自分の想定していたルートと違っていると、ヒヤーっとしてしまう事がある。でも、どんなに最短ルートだと思っても、どんなに自分では良いルートだと思っていても、目的地にたどり着かなければ意味はない。逆に、目的地さえ見失わず、しっかりそこにたどり着けるなら、途中で通った廻り道も、「なんか、得した〜」と思える。そう思えたのは、無事に目的地に着いたから。コミュニティーバスの運転手さん、ありがとう!
人生もそうだなぁと思わされます。私自身を振り返ってみると、自分の想定していたルートと違った物事の進み方と直面した時、ヒヤーっとして来たなぁと思います。今でも繰り返し失敗してしまうのですが、自分の想定にあわせよう、直そう、としてしまう事。結果的に、直るどころかますます「道に迷う」事にも。その度ごとに、途中経過は自分の願い通りでなかったとしても、神様が導くゴールを見失わない事の大切さを思わされ、悔い改めるわけです。
モーセに導かれた出エジプトの民、イスラエルは、約束の地カナン、まさしく今のイスラエル国がある地域にやって来るまでに40年間、荒野を旅しました。地図で確認すると分かるのですが、エジプトからイスラエルまでは直線でだいたい500km前後。カイロからエルサレムですと400kmちょっと。阪南からですと静岡くらいあたりの距離になるらしいです。近くはありませんが、40年なんてかかりません。「ものすごい遠回りしたなぁ」と感じるかも知れません。でも、それが結局は、約束の地に入るために必要な、大切な訓練にもなっていました。40年の旅の中で、人々は、定住生活では味わえない神様の護り、その恵みの確かさを味わったわけです。
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれひとり父のみもとに来ることはありません。(聖書 ヨハネ14:6)
イエス様を信じる道は、信じれば願いがかなうという道ではないかも知れません。たとえば希望の大学に合格する道ではないかも知れません。信じれば商売が繁盛する道ではないかも知れません。大好きなあのひとを振り向かせ、恋愛がみのり、人間関係がたちどころに改善する、そういう道ではないかも知れません。けれども、私たちを幸せにしようと今日も私たちを導き続けて下さる、父なる神様への道、本当の幸せへの道です。
ついつい、最短ルートを望んでしまいやすい私です。こっちが最善のルートだと勝手に想定して、そこから外れると焦ってしまいやすい。皆さんはいかがでしょうか。でも、振り返ってみると、廻り道に見えて実は、大切な恵みを教えられる、「主の道」だった。後から振り返ってそう思えたなら、廻り道こそ、実は本当の意味での最短・最善の道だったと実感させられたら感謝ですね。