時が流れる   黒田 朔

今日も母校「鳥中」の前を走る。15歳で卒業以来、訪問した記憶がない。いや、鳥中だけではない、高校も、大学も・・。今まではその時々にすることに忙しく、訪問の機会よりもその余裕がなかったのだろう。思い出してみると卒業後訪問したのは神学校だけ、その時々の仕事の必要があってのことと思う。先週、その神学校の同窓会からY先生の訃報が届く。

卒業後、その年に開いた初めての特別伝道集会に講師としてお招きするなど、お世話になった先生である。Y先生が逝かれて神学校でお世話になった先生方は全員、亡くなったことになる。時の流れを感じつつ、今日、神学校同窓会関西支部主催の研修会が開かれる。コロナ感染状況下、オンライン開催となった。テーマは「セックス、ジェンダー、セクシュアリティ―~伝道牧会の課題として」。すべてが時の流れの中にある。しかし、その時の流れに流されず、時の流れを読み、時の流れに沿って、残されている限られた時を賢く楽しみ、喜びの日々を作りたい。


私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ私たちは飛び去ります。だれが御怒りの力をあなたの激しい怒りの力を知っているでしょう。ふさわしい恐れを持つほどに。どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに知恵の心を得させてください。(詩90:10-12)
黒田 朔

 

 

 

 

 


2022年09月06日