年末年始と子供達が帰阪した。ひとりは新しく迎えた嫁を伴い、もうひとりは家族全員で大阪に引越してきた。夫婦2人の日常は嬉しい非日常になり、はじめてのメンバー、日々成長している孫、そして子供達との何気のない会話のやり取り、食事を楽しみました。
幸いなことよ 主を恐れ主の道を歩むすべての人は。
あなたがその手で労した実りを食べること それはあなたの幸い あなたへの恵み。
あなたの妻は 家の奥で たわわに実るぶどうの木のようだ。
あなたの子どもたちは 食卓を囲むとき まるでオリーブの若木のようだ。
(詩篇 128篇1〜3節)
ここで、「幸いなことよ」この呼びかけは主を恐れる人に対する普遍的な言い回しとして使われています。そして、その理由が、労働する人たちに対して、そして、あなたに向けられており、「妻は家の奥でたわわに実るぶどうの木のようだ。(私の妻はあまり奥には居ませんが)」「あなたの子どもたちは食卓を囲むときまるでオリーブの若木」と家族に与えられている祝福が語られています。「たわわに実るぶどう」は豊かさの象徴、「オリーブの若木」は幸せや平和を象徴しているのでしょうか。また、常緑のオリーブは生命力の象徴であり、将来の豊かな実りの可能性を秘めています。
さらに、これらの恵みの源泉は主を恐れることであり、人は主を恐れることによって祝福されるだと思います。