信教の自由について考える 山里将之

みなさん、こんにちは!
貝塚聖書教会の山里将之です。

2月11日は、私たちの国では「建国記念の日」の休日となっていますが、キリスト教会、とりわけプロテスタント教会では、信教の自由について考える日として過ごすことが多いです。日本全国各地で、信教の自由について、様々なテーマをかかげて、学び会や祈り会が持たれます。

私たちの教会が所属している福音交友会というグループでも、例年、「信教の自由を考える集い」が持たれますが、今年、2023年は私が講師のお役に当たる事になりました。今回は、そもそも信教の自由とはどういうものなのか、歴史的背景と今日的な意味、クリスチャンとしてどう向き合っていくのか、などについて、皆さんとともに考えてみたい、そのように願い、発表させて頂きました。

私たちが、何を信じ、どう生きていくか。とても大切な問題ですね。とりわけここ最近の世相を見ていくと、「信教の自由」と関わりの深い事件や出来事がニュースなどの話題になる事が多く報じられていましたね。

自分自身の信仰が、様々な権力や圧力から強制されず、不当な介入を受けない、という事の大切さを思わされるとともに、キリスト教の歴史の中では、まさにこの強制や不当な介入にどう抵抗し、人々の理解を獲得しながら、神様の愛を伝えていったのか、その歴史でもある事に気付かされる事が多いと思います。

また、「信教の自由」がまだまだ未発達、未整備だった時代、社会の中で、クリスチャンの先人が残した足跡をたどると、この地上の国家がどれだけ不完全であったとしても、目を天に向けて、神の国とその義を第一に求めて歩んでいた事が分かります。この事は、信教の自由に限らず、いろいろな問題、課題と直面する人生の中で、私たちを励まし、力づける、大切な視点ではないかなと思います。

31 ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。 32 これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。 33 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。 34 ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

マタイの福音書6章31-33節、有名な「山上の説教」の中のひとつです。

希望を天の国、神様の王国にしっかりと抱きながら、この地上の現実の世界、社会、また国家のために祈る。「建国記念の日」に、本当の意味で、この国を大切にし、立てあげる(建てあげる)ための営み、まさに「建国」の営みのために、私たちも祈っています。そして皆さんが、真の王であられる神様の恵みと祝福に与れるように、心から願っています。

写真:オンライン併用で行われた「信教の自由を考える集い」の様子。
会場は貝塚聖書教会でした。


















2023年02月13日